僕の使命

自己紹介
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どーもー!マックスです!

今回は福祉用具や住環境の話ではなく、個人的な過去の話と自分の思う使命についてお話させて頂こうと思います。僕が初心を忘れないように読み返せる形で記録を残したいなと思ったのと、もしかするとやりがいのある仕事を探している方や、やりたいことが見つからない方の参考に少しでもなれればと思いました。

僕の思い出話ばかりですが、最後まで一読頂ければ幸いです。

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僕の仕事内容

僕は今、福祉用具貸与・販売事業に勤めています。仕事内容としては主に3つです。

①福祉用具のレンタル②福祉用具の販売③住宅改修工事

これら①〜③を用いて高齢者の方が住み慣れた自宅で快適に・安全に過ごせるよう住環境の整備の提案を行っています。

職種でいうと営業にあたりますが、飛び込み営業はなく、基本必要な方にケアマネージャーさんや地域の窓口、病院から紹介頂き対応します。

僕の過去の話ですが、現職にたどり着き今に至るまでの経緯をお話します。

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「約束」が「使命」に変わった

僕には大好きな祖父がいました。祖父はいつも孫に優しく、笑顔でたくさん遊んでくれるおじちゃんでした。小さな頃の僕はそんな大好きな祖父をゲームセンターや遊園地、動物園、公園へとたくさん連れ回していました。

僕が高校3年生の頃、部活も引退し進学どうしようか?と迷っていた時に、母から告げられました。

「今日病院の先生から言われた。じいちゃん、もうそんな長くないって。」

衝撃的でした。そのことを信じれないまま、数日後祖父に会いに行くと祖父はベッドでほぼ寝たきりの状態でした。僕が部活に没頭して中々会いに行けていない間、祖父は一人で移動できないほどになっていました。

その時、ふと思い出したのと同時に気づきました。

小さな頃の僕が連れ回していた祖父は、ずっと杖を持っていたことです。

小さな頃の僕は何も気付かず、気を配らず、祖父を遊びに連れ回していましたが、祖父は昔から足がよくなかったのです。そんなことに気付けず、連れ回したことへの後悔もありましたが、その時、自然と自分の中で出てきた言葉をそのまま祖父に伝えました。

機械の大学に行って、じいちゃんが楽に歩けるように補助器具作るから、それまで待っててよ。

祖父とそれを聞いていた祖母もすごく喜んでくれていたことを覚えています。それで僕は機械工学専攻の進学を決めました。受験勉強をしながら会いに行ける時は祖父に会いに行きました。そして大学受験を受け、その合格発表の日。今でも忘れられません。

見事合格できた結果を母へ伝えようと、母の元へ急ぎました。すると合格を伝える前に母はすでに泣いていました。どうしたの?と母に尋ねると

「じぃちゃんあと余命数ヶ月だって」

その時2人で泣きました。合格のことなんて、頭になくただただ2人で泣いていました。


受験を終えた僕は人生初めてのアルバイトを始めました。初アルバイトの初任給で買うものは前々から決めていました。祖父へのプレゼントです。安いどこにでも売っているようなブレスレットですが、初めて稼いだお金でのプレゼント。

祖父はすっごい喜んでくれたことを今でも覚えています。

そしてその日がきました。大学入学の数週間前、祖父の状態が急変し家族みんなで夜中に病院へ駆けつけました。みんなで祖父に話しかけ、懸命に応えようとしてくれていた祖父は、もう言葉を発することができません。それでも家族に会った祖父は安心してくれたのか、状態が安定しました。平日の夜中だったこともあり、家族は帰宅しようとしましたが、今帰るともう二度と祖父に会えない気がして、疲れ切っている祖母に休んでもらう為にも、僕は病院に残ることにしました。

祖父に話しかけたり、祖母とウトウトしたり、と繰り返す中で祖父が突然苦しさを訴えました。すぐに看護師さんが駆けつけてくれましたが、祖父は苦しそうに、でも何かを僕達に伝えようと、ずっと人差し指で円を描いていました。何を伝えたいのか分からずみんなで考えていた時、ふと気付きました。僕がプレゼントしたブレスレットをいつも付けてくれていたのに、点滴の際にブレスレットを取り外され、そのまま机に置かれていました。もしかするとブレスレットのことを伝えているのか、僕は祖父の手にブレスレットをかけました。

するとそれまでずっと何かを訴えていた祖父がスッと静かになり、数分後には息を引き取りました。



僕は大学に入学して遊び呆けたり、バイト尽くしの繰り返しの毎日。3年後なんとかギリギリ留年せず卒業間近まできて、就職活動。その時にあの約束を思い出します。祖父は亡くなりましたが、あの時の約束は誰かに果たすことができるかもしれない。

機械の大学に行って、じいちゃんが楽に歩けるように補助器具作るから、それまで待っててよ。

大学に進学した理由を思い出し、僕の就職活動は福祉系のメーカー一択。しかし現実は甘くなく就職活動は難航しました。遊び呆けた見返りで、自分の実力と準備不足が原因です。なんとか入った地元の上場企業では、自分の希望とは反して営業マンとして食品工場へ営業していました。

社会人3年目の時に自分の人生を見つめ直し、やっぱり自分は福祉の仕事がしたいと思い、再就職活動を始めます。そこで見つけた業種が福祉用具貸与・販売事業でした。福祉用具のレンタルや販売、住宅改修工事を提案することで、高齢者の方が住み慣れた自宅で快適に過ごせる住環境を整える。

元々祖父が楽に歩けるような器具の開発が約束でしたが、人と話すのが好きで、PCと睨めっこが苦手な僕には営業が向いていると前職で分かったので、迷わずこの業界に飛び込みました。

約束は形を変えましたが芯は変わらないまま。「住環境を整えて、快適な暮らしができるように

そして現在。この業界に入って4年が経ちます。商品や介護のこと、介護保険、様々な福祉サービス、勉強ばかりの毎日。管理者にも就任させて頂き、より一層忙しく毎日くたくたです。そんな毎日でも沢山の方から直接感謝の言葉を頂き、僕の提案で転倒が減ったり、外に出る機会が増えたり、体の負担が減らせたと喜んで頂けることが本当に嬉しいです。こうしてやりがいを感じ、頑張れる今は、自分の家族のお陰でもあり、祖父の存在があったからだと思います。あの時の祖父との約束が形を変え、最終的に今となっては自分の「使命」になったと感じています。

約束通りに福祉用具の開発の仕事に勤めていた場合、こんなに沢山の現場の声と感謝は聞けなかったと思います。きっと祖父も僕が無理に苦手な開発の道を歩むことは望んではいないと思います。

祖父の死に際、訴えたかったことはブレスレットで合っていたのか、約束の形を勝手に変えて喜んでくれているのか、答えは誰にも分かりません。でも僕が目を瞑った時に浮かぶ祖父の顔が微笑んでくれているので、間違ってなんかいないと自分では思っています。

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まとめ

いつもと違い僕の過去の話をさせて頂きました。小さなことがきっかけでも、その道をひたすら進んでいるとそれが自分の「使命」に変わることがあります。それが自分の一番のやりがいだと僕は思います。そんなこと自分にはないと言う方も、小さなことでいいので、ひたすら突き進んでみてはいかがでしょうか。

僕は誰にも負けない約束(想い)があるので、この業界でこれからもひたすら突き進んでいきます。

今回の記事がみなさんの為になるか分かりませんが、このブログを参考に少しでもだれかの生活に笑顔が増えると嬉しいです。読んでくれてありがとうございました。




マックス

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